猫派

か犬派か鳥派かと言われたら猫派になるのだろうけれど、動物は全般好きである

一緒に眠る行為をしてしまったらどんな動物でもその後はずっと好きでその動物の幸せを願わない事はない

だから子どもの頃一緒に眠った事のある人間の友達も全員とても好きで、共に眠る行為の、暗闇の中会話だけになってお互い脳だけになってひとつの肉体もしくは空間に楽しさ、嬉しさが満ちて、でも暗闇の中にいる、その状態を永久にとどめて置きたい気持ちで、小学校〜中学校のお泊まり会の、眠る寸前のお喋りを撮影する、暗闇しか映っていないヴィデオが沢山アーカイブされている私の実家

一時間のものもあれば、三時間くらいの長さの暗闇もある

そのどれもとても楽しそうで、流行の言葉の連鎖や連想ゲームから時代の空気が濃く濃く感じられ、2014年に再生しても、まるでその場に溶けていくよう

 

 

 

 

1月15日

ブリンクリングを観た

ぽっちゃりだが別に普通っぽい主人公が転校早々、イモ男とか言われていて、えっこれでイモ男なら日本人…と思った

カーストがきつく、このハイスクールにだけは転校したくないなと思った

日本は中学校カーストきつめ、高校生カーストゆるめってイメージあるけれど

高校生にもなって誰かにイモ男とか言わないし


帰りに私もキラキラでもするかなと思ってドン・キホーテに寄ってLBスパークルカラーホワイトを購入してみました

涙袋強化に努めます



1月14日

一昨年のクリスマスパーティーで私に当たったプレゼントがジェンガだったのだけれど、大人のクリスマスパーティーでジェンガをクリスマスプレゼントにする程滑ってる事はないだろう、とか、馬鹿とか糞とか酷い事を言いまくって未だにその事について中学生のような根深さで恨みのLINEを送られる始末なのですが、昨日新年会でジェンガに真剣に挑んだ所、楽しかった

 

 

時知らせのiPhone

街の明かりが遠くに見えた

この街は朝も昼も夜もなく何時もすべてが見え、隠れる

季節が冷えてまた巡る

私は何となく小さく消えかかっていたので、確かめるようにかじかんだ手のひらを覗き込んでいた

タクシーを飛ばして帰っても良かったのだけれど、時間がそこにあったので、新宿の駅で電車を待つ事にした

駅には始発待ちの人々が交々と言葉の彼方に揺れてまどろむ

きっともうすぐ目を閉じてしまう

そしてまた私たちはエトセトラのほうへと飛んで行く

というような事を段々と思い待つ間に可笑しくなって、私に贈られたこの時間の事を大事にしたくなって、というか持て余して、私は泣いてみる事にした

泣くなんて事は暫くしていなかった

どうやって泣いていたのか、泣いた事があったのかすら疑わしい遠さ

嬉しくても悲しくても何故だか人は泣くのだけれど、どこへ続くのかもっと知りたいんだと思えて、目を凝らしてみたけれど無理なんだと気付いた

「本でもあればな。」と呟いて、物語を探した

iPhoneを取り出して、泣ける物語、検索

小さく遠く壮大で、いつかの何処かの誰かの物語を一通り読み、「泣けないなあ。」と呟いて、ポケットに仕舞う

「まだ光ってるな。」と街の明かりが近くに見えて、目線を上にあげてみれば、こんな駅のホームからでも星空はまだそこにあった

色んな光が見れるここでも

私はわかった気がして、小さく見える星々が一体いくつあるのかすべて知りたいんだと思えて、見渡してみたけれどそうじゃないと気付いた

電車はまだ来る気配はない

 

街はあかるく、そこに私はいない

すべてが見える言葉の彼方で、誰かが私を見ていて、飛ぶエトセトラ

星が現れては小さく消える

私は歩き始める、葉が舞い落ちる

何時にでもどこにでもひかりは育ち老い、葉はここに舞い落ちてくる

空は上に、地面は下にある

私は朝待ちの光のなかでまた覗き込む

時知らせのiPhoneがなじんだ右手に溶けて輝く

 

街の明かりは滲みはじめる

また朝が来るはじまるもえる

私は歩く

いつか歩き止む

色んな光が見れるどこでもと、分かった気がして呟いた

私のからだは流れ続ける

行き着いたどこかでまた覗き込む

目線を上にあげてみればまた、そこにある星空を知る

手のひらに小さく燃える星があらわれる

滲んだひかりのなか私はそれを見た

 

空は上に、地面は下にある

私は悲しくて泣いているのじゃなくて

私は嬉しくて泣いているのじゃなくて

私は何故泣いているのかって、言葉の彼方に問いかけた

電車はまだ来る気配はない

 

街の明かりは滲みはじめるまた朝が来るはじまるもえる

私は歩く

いつか歩き止む

色んな光が見れるここでもと、分かった気がして呟いた

 

私のからだは流れ続ける

行き着いたどこかでまた覗き込む

目線を上にあげてみればまた、そこにある星空を知る

 

街はあかるく、そこに私はいない

すべてが見える言葉の彼方で、誰かが私を見ていて、飛ぶエトセトラ

星が現れては小さく消える

私は歩き始める、葉が舞い落ちる

何時にでもどこにでもひかりは育ち老い、葉は私に舞い落ちてくる

空は上に、地面は下にある

私は朝待ちの光のなかでまた覗き込む

時知らせのiPhoneがなじんだ右手に溶けて輝く

 

街の明かりは滲みはじめる

また朝が来るはじまるもえる

私は歩く

いつか歩き止む

電車はまだ来る気配はない

 

月が少しだけ消えかかっていた

どこへ続くのかもっと知りたいんだと思えて、目を凝らしてみたけれどそうじゃないと気付いた

色んな光が見れるどこでもと、分かった気がして歩き出した

 

私のからだは流れ続ける

行き着いたどこかでまた覗き込む

目線を上にあげてみればまた、そこにある星空を知る

手のひらに小さく燃える星があらわれる

時が奏でる音楽に耳を傾けながら、滲んだひかりのなか私はそれを見た

 

※蓮沼執太氏の楽曲のプロモーション・ヴィデオのために書き下ろしたテキスト

 


蓮沼執太フィル ZERO CONCERTO - YouTube

 MV「ZERO CONCERTO」

監督:林靖高(Chim↑Pom)、北川陽子(FAIFAI)
撮影:小林由美子加藤和也(FAIFAI)、駱駝
テキスト:北川陽子「ZERO CONCERTO・INSPIRE」

 

 

発見

自分に自信のない事を信用しきっている人の行動をみて思ったのだけれど、自分に自信のないのは何と、人に迷惑をかけるのだ!大発見だ

まさか自分に自信のないのが他人を蝕むとはおそろしい

ただでさえ他人などどうだっていいというのに、その他人が自身の事をしっかり保って好きでいてくれないと自分まで半分カラダを乗っ取られたようにフォローせねばならないじゃないですか

自分の事くらい好きでいておくれよと、好きじゃないとしても好きなふりくらい出来るように元気でいておくれよ、って感じだ

自信がない感じを出すとしたら面白くないと困っちゃうんだから

ああ大発見だった

 

 

1月12日

月の形のネックレスが欲しい

私の少女趣味はママの影響なのであるが、ママは大きな石のついた宝石や人形、テディベアを愛していたのでママの部屋はそれらで埋め尽くされていたし、私が髪を切ってしまって呪われたような風情になってしまったバービー人形も、お願いだから捨てないでと言われて仕方なく部屋にある

二十歳でママを亡くしたママはマザーコンプレックスだったので、同じように二十歳でママを亡くした私もマザーコンプレックスである

ママの葬儀の日に家に女の盗賊団が押し入ったので形見の宝石は全て無くなってしまった

盗賊団はその後捕まったのだが宝石達は消えてしまった後だった

なので形見の品はバービー人形とテディベアしかない(真実)

けれど特別なバービー人形で、ドレスを着た箱入りのNo.付きでメッセージカードが入っていて、日付も付いている

彼女の一番好きな映画はシンデレラで、繰り返し見せられたけれど私はさほど好きではない

レンタルビデオ屋で何となく退屈な映画が観たくなって物色していたら、シンデレラのDVDが推されていた

昔のディズニー映画は素敵だけど暗くて怖いので今日は避けて、ヴァージンスーサイズを借りた

少女映画はベトベトのピーナツバターが付いた手を白いワンピースで拭いてしまうようなところ、部屋がめちゃくちゃでいつでも汚くそして隠されていて、大人の部屋よりも業が深く暗いところ、抑圧されているそぶり等好き

ソフィアコッポラの処女作、少女趣味が凄い映画だけれど、最期に5人の少女達が自殺してしまってから、男の子たちが言う台詞が好き

彼女達は少女だから自殺したのではない

みたいなのだったかな?

少女だからではなくて

共感する部分

原作の小説の核心なのかなと思ったので、読んでみたくなった

 

 

1月11日

私は南の島にいる

ロングヘアだった頃のTまちゃんとYみちゃんと猫と犬がいて何も話さず雨季の南の島でビーチベッドの上で夜を眺めたい

三角の赤いカクテルにさくらんぼが浮かんでいる

蒸し暑いからビキニを着ている

花冠を付けたTまちゃんがビルの屋上のプールに飛び込むが

無音でしぶきもたたない

幸せとかは遠くにあって感じる事は無いけれど静かに孤独で素敵な夜だった

というような事を電車で思った